
8月14日
鳥羽にやって来ました。
鳥羽駅そばの公営駐車場が満車で駐車できず、およそ2.5km離れた郊外の臨時駐車場に車を止め、シャトルバスで鳥羽駅の近くの鳥羽マリンパークまで戻ってきました。
何度も来ている鳥羽ですが、今回は初めての場所に行ってみます!

鳥羽城址(三重県鳥羽市)
三つ巴紋は、戦国時代に水軍を率いて活躍した九鬼嘉隆(くき よしたか)の定紋。
ここから、標高40mの城山を登って、九鬼氏ゆかりの鳥羽城本丸跡まで行ってみます。

眼下に見えるのは日本一の飼育種数を誇る鳥羽水族館で、水族館の駐車場に入るための車がずら~っと並んでます。。
国内で唯一、ラッコを見ることができるのはこの水族館だけになってしまったから、最近はかなり多くのお客さんが訪れてるみたいですね。

城山公園
鳥羽城は、織田信長や豊臣秀吉のもとで水軍を率いて活躍した九鬼嘉隆が文禄3年(1594年)に築いた城で、三方を海に囲まれていたことから、鳥羽の浮城とも呼ばれました。

TOBAのモニュメント

ミキモト真珠島が見えますね。後で行ってみよう!

案内板が船の帆になってるのが面白いw

鳥羽城本丸址
九鬼嘉隆は、志摩国英虞郡 波切城で生まれた九鬼氏の11代目当主。最初は、志摩国国司の北畠氏に仕えていましたが、北畠氏の力が弱くなってくると、織田信長に仕え、天正2年(1574年)の伊勢長島一向一揆の鎮圧では、海上の船から射撃を行うなどして織田軍を援護し、敵陣攻略に活躍しました。
信長亡き後は秀吉の家臣となり、朝鮮出兵では水軍の総大将として戦功を挙げました。

鳥羽藩3万5千石の藩祖となった九鬼嘉隆は、関ケ原の戦いでは西軍につきましたが、西軍が敗れると、鳥羽の答志島で自害しました。

本丸御殿跡
家督を継いでいた子の九鬼守隆は家康の東軍に組していて、後の大坂の陣では海上封鎖などの役目を担い、江戸城築城では資材の海上輸送に協力しました。
ここにあった三層の天守閣は海から見ると黒、陸側から見ると白に塗られていたそうです。その天守は、幕末期の安政元年(1854年)の地震(南海トラフ地震)で倒壊してしまいました。。

本丸御殿跡からは鳥羽湾が一望できました。
江戸期の読み物では海賊大名とも呼ばれた九鬼水軍大将 九鬼嘉隆もこの景色を眺めていたんですね。
つづく
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