
2021年10月9日
1か月前に南西の登り口から上がっていったものの、あまりに道が悪く、諦めて引き返してしまったので、今回は北側の登り口からリベンジです。

アキチョウジが咲いてました。
シソ科ヤマハッカ属の多年草で、主に山地の木陰に自生しています。花は一見、メドーセージにも似てますね。


アカネ系のトンボだと思いますが、翅の先端が黒いのでコノシメトンボでしょうか。
下の写真は腹部だけでなく胸部も真っ赤に染まっているから雄のコノシメトンボだと思います。

水道局の施設だと思われる建造物の脇の道に入ります。

カラスウリの実が成ってました。


いつの間にか舗装されていた道も砂利道に変わってました。
鈍った身体には結構キツい登り道だけど、緑の中を歩くのって気持ちイイ。

久しぶり出会ったアサギマダラ。

トイレがありました。
さらに頂上を目指すには左側の道をさらに登っていくみたいです。

悠って誰?
明らかに某名探偵のパクリですね(爆)

頂上まではまだ130mありますが、水口岡山城跡の西の丸にやっと到着しました。
この古城山の山頂にはかつて水口岡山城がありました。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉が甲賀郡と蒲生郡の一部を支配させるために、家臣の中村一氏に命じて水口岡山城を築かせました。
その後、1595年には豊臣五奉行のひとり、長束正家が5万石で水口岡山城に入りました。


写真は西の丸跡にある展望台の天翔の櫓。

西の丸跡

天翔の櫓から眺めた水口町
眼下には東海道が通り、水口宿が置かれました。
きっと水口岡山城があったころは東海道沿いの町家や人々の姿がここからもっとよく見えたんでしょうね。
豊臣秀吉はこの城下町に甲賀武士(甲賀忍者)を住まわせて、ここから監視したとも云われてます。
2020年に放送されたNHKのブラタモリの甲賀・信楽の回で、タモリさんもこの天翔の櫓に登られました。

栄子姫は水口岡山城主で豊臣五奉行の長束正家(なつかまさいえ)の正室で、徳川四天王のひとり 本多忠勝の妹でした。

本丸の石垣跡
関ケ原の戦いではもちろん豊臣方の西軍として参戦した長束正家でしたが、吉川広家の軍勢に囲まれて戦線を離脱し、水口岡山城に戻りましたが、池田輝政の命を受けた池田長吉の軍勢に取り囲まれます。

竪堀跡は、山の斜面に直角に掘られた空掘。

伝 本丸櫓跡(天守とする説あり)

阿迦之宮は古城山の麓にある大岡寺の奥の院。

水口岡山城をなかなか落とせない池田長吉は正家に「兵卒の命と所領の安堵」を約束し、正家は開城に応じます。しかし、それは池田の謀略で正家は捕縛されて自害、その首は京都三条河原に晒されました。
池田軍は水口岡山城落城の際、城内、城下で略奪、凌辱の限りを尽くしたと云われてます。正家の妻 栄子も辱めを受け、正家の旧家臣に救われました。身重だった栄子は後に子を産みましたが、産後の肥立ちが悪く亡くなってしまいます。。
阿迦之宮は正家をお祀りしたお宮で、今も山の上から城下の安全を守ってくれている気がしてなりません。

ようやく山頂に到着! 山頂の南東側には天守跡がありました。
この日気温は29度もあって汗だくになりましたが、地元の歴史に触れ、良い時間を過ごすことができました。

古城山散策の帰り、季節外れ、狂い咲きの紫陽花にも出会いました。
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